2018-01-21【アートロ】連続講座第4回「足元には何が生えてた?道具と素材のレクチャー」が行われました。

道具から見つめ直す、自然と向き合うこと、丁寧に暮らすこと。

晴天に恵まれた1月21日(日)、静岡市立登呂博物館にてアートロ連続講座第4回「足元には何が生えてた?道具と素材のレクチャー」が行われました。

寒さが少し緩む午後、参加者は通常の博物館内ではなく、野外の焚き火を囲み、暖を取りながら、家族連れや地元住民の方々がのんびりと公園内をお散歩する風景の中、和やかな雰囲気で会は進みます。

今日の講師は静岡大学の篠原和大先生に、宮大工の雨宮国広さん。

篠原和大さん、アートロの本原さん、雨宮国広さん

篠原先生からは、登呂から出土する道具・素材として農具用の木器や石斧、砥石、石鏃などがあり、植物としてはスギを使った器具類が92点ほど出土していることを教わりました。そして木製品の9割近くがスギであったことや、種実同定や花粉分析からヤマモモ、オニグルミ、キイチゴ、ブドウ属、トウガンなどが存在していた可能性も指摘されました。弥生時代にはどんな植物があって、どんな森が存在し、どんな食生活だったのか思いを馳せながら、段々と弥生時代の足元の暮らしが頭の中で色を持ち始めます。

雨宮国広さん

ところで広い登呂遺跡公園敷地内で、アートロの会の場所がすぐわかったのも、この雨宮さんの出で立ち。すっかり登呂の藁葺き三角屋根の竪穴式住居と焚き火の風景に馴染んでいて、思わずテンション上がりました。その雨宮さんは自ら「縄文人」を名乗り、縄文時代のライフスタイルを実践しながら、現代に生きる私たちに「生きること」の根本を問うことで、自然と共生する心の在り方を伝えてくれます。

雨宮さんは元々宮大工として緻密さが要求される仕事をしていました。趣味でログハウスを作っていた頃は、チェーンソーなど近代的な道具を使い、それこそ、いかに効率良く木を切ることばかりで、木そのものと向き合い、ありがたく感じる隙が全くなかったそう。その後、鉄の道具にハマっていったが、でも何か腑に落ちない、と感じていたときに「石斧」に出会ったのは衝撃的な経験だったそうです。石の手道具で作業すると、木に寄り添う気持ちが自然と高まり、自分の生命を削るかのように、大切に思うようになる。そして石の道具での実践を通して、日本の伝統工法は全て石の道具でもできる、と納得したそう。それぞれの道具によって自然と向き合う心がいかに変わるか、説得力を持って語りました。

そののち、雨宮さんはミカン割の実演をしてくださいました。ミカン割とは、もっとも無駄がない木取りの方法のひとつ。木の幹を様々な形の組み合わせで割っていきます。

そしていよいよ、雨宮さんの道具による心の変化を追体験するように、参加者も実際に石の道具で木割を体験します。石の手道具では確かに現代の精密さを追究することは難しいけれど、木の幹や板目を十分に観察して、抗わずにいると、見た目よりかなり簡単に、あっという間に割ることができます。参加者も木を割りながら、独特で複雑な、なんだか芸術的にさえ見える切り口や素朴な木割りのリズムと音にある種の美しさを見出します。そして私たちも身の回りにたくさん存在する、実は必要のない几帳面さ、迅速さに気づいていきます。木をモノではなく、命として向き合い、丁寧に会話するように割っていくと、なんだか心が軽く、やさしくなっていくような気持ちに変化していきます。

手道具の石は翡翠などが使われ、近くの海岸から拾ってきたのではないか、ということや、石の道具を作る際、木を水につけると膨らんで石が固定される、など当時の知恵も学びました。しかし今回の一番の収穫は、古代のライフスタイルをたどりながら楽しい想像の旅に出たことではなく、今に通じる自然と仲良く向き合いながら暮らす生活のシンプルさ、こころの軽さと豊かさを、自分の生活にどんなふうに取り入れられるだろうか、と考え始めるきっかけを頂いたことだったように思います。

ワークショップ中、キャラクターのトロベーも公園に登場し、たちまち子供たちの人気者に。

さて、次回の連続講座第5回は2月18日(日)、「みんなでつくる自然素材の住まい」です。弥生時代、食べるのも住まうのも動ける範囲で調達していました。「そこにあるもの」で完結する自然素材の住まいは、きっと快適だったはず!講師は国立民族学博物館の佐藤浩司先生をお迎えします。
詳細はこちらをご覧ください。

佐野 直哉コーディネーター